198 7月17日 ヨシ24使4エレ13マタ27
ヨシュア記24章……ヨシュアは民に、あなたたちが願うならば偶像の神々を選んで拝むがよい、ただし、わが家とわれは主に仕えると語りました。主は、ご自身に従うことを選択として私たちに人間に提示していらっしゃいます。主は信仰と従順を強制される方ではありません。しかし、そのような中で私たちが主を信じ、主にお従いするならば、大いなる祝福がついてまいります。 使徒の働き4章……イエスさまの福音を宣べ伝えることは、人間業でできることではありません。投獄や脅迫もその勢いを止めることはできません。なぜならば、地を揺れ動かすほどの全能の力をもって働かれる、主の御手が実際に使徒たちに臨んだように、みことばを宣べ伝える私たちにも臨むからです。私たちはこのような大胆さを与えてくださる全能の主に信頼し、語るべきことを大胆に語る力をいただいてまいりましょう。 エレミヤ書13章……腰に締める帯は、真理を象徴しています(エペ5:14)。しかし、いかに主の民であれ主を捨て去る者には、真理など何の役にも立たないようになります。役に立たない真理などそもそもその存在が矛盾しています。しかし人がその創造主なる主を捨て去るならば、その者にとっての真理など何の役にも立ちません。現代社会においての真理もこれと同じで、神さまを離れている以上、何の役にも立たないものです。 マタイの福音書27章……イエスさまを嘲る群衆は、イエスさまが十字架から降りたらほんとうに信じるのでしょうか。創造主なるお方に対し、なんという態度を取っているのでしょうか。しかし、このような態度を取る群衆は、ほかならぬ私たちのことです。私たちはどれほど、イエスさまの十字架など関係ない生き方を選んでしまっていることでしょうか。十字架にくぎづけにされたイエスさまから目をそらし、勝手な信じ方をしていることでしょうか。それでもイエスさまは私たちのことを限りなく赦してくださっています。この恵みに今日も感謝しましょう。 <祈りの課題>イエスさまの十字架に感謝します。