192 7月11日 ヨシ14-15詩146-147エレ7マタ21

ヨシュア記14章~15章……キルヤテ・セフェルを攻め取った際のカレブから下される褒美が、カレブの娘アクサと結婚することであったことを考えると、その地を征服したオテニエルにとっての大きなモチベーションは、アクサと結婚することだったと言えるでしょう。まさしくそれは主にあっての愛の力がそうさせたと言えます。そのようにしてカレブが2代にわたって新たな地を手に入れることは、老いてなおますます壮健さを与えてくださる神さまのご栄光を顕すということです。

詩篇146篇~147篇……君主のような人間の社会に君臨する存在は、人々を依存させるべく引きつけます。しかし神の民は、そのような存在を頼りとしてはならないと教えられます。なぜならば、そのような者たちはいかに力があるように見えても、救いがないからです。救いばかりは人の提供できるものではなく、まことの救い主なる神さまだけが提供することのおできになるものです。救い主なる神さまにだけ拠り頼む者となりましょう。

エレミヤ書7章……神の民のすることは、ただ神さまにだけ礼拝をささげることであるはずです。それなのに神さまから離れ、偶像に淫するようになるならば、いったいだれがそこから救い出すことができるというのでしょうか。そのように偶像に淫することは民が選んだことである以上、その選択の責任は民が負うべきです。しかし私たちはあきらめて、滅亡を受け入れるままであってはなりません。それでもなお恵みとあわれみを注いてくださる神さまに拠り頼み、とりなしの祈りをささげるべきです。

マタイの福音書21章……本来人は、父親にぶどう園で働けと言われても働きたくないような自己中心の罪人です。それでも神さまの恵みが臨むならば、父につながっている大いなる恵みに感謝し、働きたくない思いは働きたい思いに変えられ、そのようにして御父のみこころにかなう者となります。それは、神さまの愛や恵みなど名目ばかりで、従順など伴わない人とはまったく異なります。私たちは主にお従いする行動が伴って、神さまへの愛をあらわしているでしょうか。

<祈りの課題>私たちがとりなして祈ることを諦めず、最後まで恵みを求めていきますように。

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