182 7月1日 ヨシ3詩126-128イザ63マタ11
ヨシュア記3章……未知の地を行くイスラエルの民は主の契約の箱を目標に歩いていくように命じられる一方で、その契約の箱と十分な距離(約400メートル以上)を取ることも同時に命じられます。主は力強く導いてくださるお方ですが、近づくことの許されるお方ではありませんでした。今このようにして私たちは、主のお導きをいただきながら、イエスさまによって主に大胆にお近づきすることができるとは、なんという大いなる恵みでしょうか。
詩篇126篇~128篇……私たちのうちの子どもたちは、主の祝福の賜物です。私たちは子どもたちの存在をとおして、なんと多くのことを学ぶことでしょうか。神さまを素直に受け入れ、素直な気持ちでお祈りすることができる幸いを、私たちは子どもたちを通して学びます。私たちのうちの子どもたちを大切にすることで、私たちは神さまからの大いなる祝福をいただくことができます。
イザヤ書63章……私たち主の民は苦しみますが、この苦しみに主は無関係で、超然としておられるのではありません。かえって、私たちが苦しむとき、主がともに苦しんでくださっています。それほど主は私たちのことを気にかけてくださり、私たちのことを愛する子どもとして扱ってくださるのです。私たちはどれほど愛されていることでしょうか。
マタイの福音書11章……聖書に啓示されている主のみこころは、学問を重ねた者に対してではなく、幼子のように神の国を受け入れる人に示されています。学のある者は、みことばをいろいろ批評するでしょうが、果たして素直に神の国を受け入れているでしょうか。一方、幼子のような人は、学問的にみことばを批評し、分析するということはできないかもしれませんが、素直に神の国を受け入れているので、神さまはそのような人を喜んでくださっています。
<祈りの課題>神の国を素直に受け入れる幼子のような人が、さらに教会に増し加えられますように。
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