191 7月10日 ヨシ12-13詩145エレ6マタ20
ヨシュア記12章~13章……ルベン族、ガド族、マナセの半部族は、ヨルダン川を隔てた東側に土地を得て集住することとなりました。それは、イスラエル全体がともに戦って得られた戦利品であり、つまり、彼らがともに主のために戦ったという証しでした。彼らがなぜその土地が必要だったのかを筋道立てて説明したとき、モーセがそれを了承したのは、何よりも、戦いにおいても、その後の生活においても、イスラエルの共同体が保たれることが明らかになったからでした。私たちクリスチャンは世界に散り、それぞれの場で生活していますが、それはすべて同じ主が受け継がせてくださった恵みであり、どこに住むにしても、私たちはこの地上でみな、信仰の共同体です。
詩篇145篇……主の恵みは毎日ほめたたえ、世々限りなくほめたたえるものです。毎日おささげする賛美を絶やすことがないならば、やがてその賛美は世々限りなく、天の御国に至るまで続きます。また、私たちの日々の賛美は、のちの世へと受け継がれていき、こうして世々限りなく主を賛美することにもなります。私たちは今日も主の御名を讃美してまいりましょう。
エレミヤ書6章……神さまは祭司や預言者のような宗教指導者たちが、亡国の危機迫るエルサレムでこの期に及んでも、人々にいい加減な平安を宣言していることに激しい怒りを注がれました。私たち、主の民の共同体においてはどうでしょうか? 神さまのみこころに真摯に耳を傾け、礼拝の導き手、みことばのメッセンジャーとなっているならば、いい加減なことは言えないはずです。主に立てられた者は、「教師は格別に厳しいさばきを受ける」ことを肝に銘じ、信徒のたましいにお仕えする必要があります。
マタイの福音書20章……当時の障碍者はどれほど虐げられた立場にいたことでしょうか。イエスさまに向かってあわれみを求める叫びを発することさえ許されていませんでした。しかしイエスさまは、彼らを呼び寄せ、見えなかった目を開いてくださいました。差別するのはいつでも人間、罪人です。しかしイエスさまは、特に弱い立場にある人に対して優しいお方です。私たちにもイエスさまの心があり、この世界の弱い人たちに自然と目が向いているでしょうか?
<祈りの課題>肉体的な障がいを持つために苦労していらっしゃる方々がイエスさまに出会うお手伝いを、私たちが積極的にしていくことができますように。
コメント
コメントを投稿