187 7月6日 ヨシ8詩139エレ2マタ16

ヨシュア記8章……ヨシュアは、イスラエルが敵に勝利するまで、伸ばした杖を下ろすことはありませんでした。私たちに先立つイエスさまも、私たちが勝利される終わりの日まで働いてくださるお方です。私たちはヨシュアのように、イエスさまのように、教会が最後の勝利にあずかるその日まで、とりなしの祈りをもって支えていく存在です。

詩篇139篇……主が世界のすべてをお見通しであるということは、あなたのすべてを知っておられるということです。隠れて罪を行なって、神さまに知られていないかのように思い込むことなどできません。すべてをご存知です。しかしそれならば、私たちは、自分でもわからないような自分の弱さから、将来の道に至るまでのすべてをご存知の主に感謝し、主の導きに全面的にゆだねる信仰を与えていただくように、祈る必要があるのではないでしょうか。

エレミヤ書2章……主は、ご自身の民がいとも簡単にご自身を捨て、偶像の神々に拠り頼むようになっていることを嘆いておられます。普段は偶像を拝んでおいて、自分の身に危機が降りかかったときにはじめて、民はまことの神さまに祈るようになりますが、そのような民の姿に主は怒っておられます。私たちはどうでしょうか? いざというときになる前に、普段から神さまとの交わりを保っているならば幸いです。

マタイの福音書16章……イエスさまがご自身の十字架に至る道を示されたとき、ペテロは、そんなことがあってはなりませんとイエスさまを諫めましたが、イエスさまはそのようなペテロに向かい、下がれ、サタンと一喝されました。いのちを失う、それも惨憺たる形でいのちを失うことは、人には見ていて耐え難いことかもしれませんが、私たちはこのことを、主のご栄光という観点から見るべきです。主に従順にお従いする人のその道に対しては、人がとやかく言うことではありません。もちろん、危険な状況におある献身者のために私たちはお祈りする必要がありますが、一方で、危険な状況に志願する主の働き人の働きを止めるようなことをしてはなりません。

<祈りの課題>紛争や異教の迫害にさらされているなど、危険な地域での宣教に従事していらっしゃる働き人のために。

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