185 7月4日 ヨシ6:6-27詩135-136イザ66マタ14

ヨシュア記6章6節~27節……エリコの町は聖絶されました。これは、罪深い私たちのうちに主の霊が臨み、私たちの古い人が滅ぼされることを象徴しています。その、神さまがともに歩まれる生き方が素晴らしいことを知るならば、エリコを再建するような呪わしいことをするがごとき、私たちの古い性質にあえて恋々とし、むかしのとおりに生きようとすることなど、してもいいことなのでしょうか。そのような生き方は、滅ぼされるべき生きたかであることを肝に銘じ、主の民らしく生きてまいりたいものです。

詩篇135篇~136篇……詩篇136篇は、1節ずつ、合計26回にわたって「主の恵みはとこしえまで」と繰り返しています。天地創造のわざも、出エジプトに象徴される救いのわざも、すべては主の恵みのゆえであり、その恵みはとこしえまでも続きます。そのとこしえの恵みによって私たちが造られ、救われ、永遠に神さまのものとなっていることを、心から感謝しましょう。

イザヤ書66章……今は終わりの時です。この時代において神さまを礼拝するのは、イスラエル民族だけではありません。すべての民族の中から選ばれて、人々が主を礼拝します。私たち日本の兄弟姉妹も、そのように主によってえらばれ、イスラエルの民とまったく同じように神さまを礼拝する、祝福された主の民です。

マタイの福音書14章……ゲネサレの地でイエスさまの衣の房にさわった人は、イエスさまこそが救い主、いやし主であるという信仰をはっきり持っていたゆえに癒やされたのでした。私たちにとって日々の主との交わりは、イエスさまご自身の前に出て、イエスさまに触れることであり、せめて衣の房にでも触らせていただきたい、という、切実な思いをもって御前に出ていくことです。私たちは今日、イエスさまの衣のすそだけにでも触れて、いやしをいただいているでしょうか?

<祈りの課題>病気を抱えている兄弟姉妹の癒やしのために。

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