188 7月7日 ヨシ9詩140-141エレ3マタ17

ヨシュア記9章……ギブオンのヒビ人が策略を巡らしてイスラエルの陣営に馳せ参じたとき、イスラエルは主の指示を求めず、彼らを生かしてしまいました。結局ギブオンのヒビ人は、イスラエルの奴隷となることによって生きながらえましたが、これはイスラエルに落ち度があったせいというより、神を恐れる彼らに神さまがあわれみをくださったゆえということができましょう。まことに、身を低くしてでも神さまを恐れることを知る者は、神さまが生かしてくださいます。

詩篇140篇~141篇……クリスチャン、すなわち主の人に敵対する者の特徴は、ことばづかいがとてもひどいということです。まさに、「蛇のように鋭い舌、唇の下にはまむしの毒」です。そのような毒舌で神さまと私たちをそしるので、私たちはどれほど傷つくことでしょうか。しかし詩人ダビデは、「自らの唇の害毒が彼らの頭の上を覆いますように」と祈っています。ひどいことばを語る者は、そのことばによってさばかれることになるというのが、主のみこころです。

エレミヤ書3章……主の民イスラエルとユダが神さまから離れ去ったのは、仕方なくしたことではなく、彼らの選択でした。神さまはそれを人の姦淫になぞらえられ、大いなる怒りをもってさばかれました。しかし神さまは同時に、いつまでも怒られないこと、彼らを回復してくださることを約束してくださいました。私たちにとっても、神さまよりも大事にしているものがもしもあったならば、それは霊的姦淫というものです。しかし、私たちが悔い改めてそれを捨てるならば、神さまはもはや怒られることはなく、私たちのことを受け入れてくださいます。

マタイの福音書17章……神の子であるイエスさまは神殿税を納める必要などないのですが、ユダヤの宗教共同体は、イエスさまやペテロが神殿税を納めないならば、そんな彼らのことを主のしもべとは認めないだろうという問題を抱えていました。イエスさまはそんな彼らのこともケアされ、だれから手に入れたわけでもない、「自然の恵み」のような銀貨をペテロに手に入れさせ、それでユダヤの宗教共同体を納得させました。私たちも主のしもべですが、公共のお金を納めることのいちばんの目的は、「クリスチャンが人につまずきを与えないため」です。人々は私たちが公共のお金を納めても何とも言わないでしょうが、納めなかったら私たちの行動を問題視し、果ては私たちの信じているイエスさまをそしります。私たちは、宣教の対象、すなわちいつの日かイエスさまを信じ受け入れるかもしれない人々を、つまずかせてはなりません。

<祈りの課題>私たちが人々につまずきを与えないために、神さまが必要を満たしてくださるように。

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