190 7月9日 ヨシ11詩144エレ5マタ19

ヨシュア記11章……ハツォルの王によってまとめられたカナンの王たちと兵士たちは、海辺の砂のように多く、その兵士が極めて弱小に見えたイスラエルに総攻撃を仕掛けようと待ち構えていました。しかし主は、イスラエルを奮い立たせ、彼らを滅ぼされました。主の御目に悪である存在は、極めて強大に見え、そのような者と闘っても勝ち目がないように思っていないでしょうか。しかし主がともにおられるならば、私たちは相手がいかに強く見えようとも、勝つことができます。主ご自身が私たちをとおして、勝利を与えてくださいます。

詩篇144篇……主はご自身の戦い、すなわち私たち主の民の戦いのために、私たちの手を鍛えてくださるお方です。私たちの日々の歩みは戦いであるということができるでしょう。しかし、訓練していなかったり、丸腰であったりしては、戦いに勝てません。主は私たちが勝利し、ご自身が栄光をお受けになるように、私たちを武装させてくださいます。私たちは日々の主との交わりにおいて、自分を武装させていただくのです。

エレミヤ書5章……主はご自身の愛する民がご自身から離れているならば、罰をもって懲らしめられます。しかし問題なのは、そのような懲らしめを受けながらも、その懲らしめを何とも思わず、相変わらず主から離れることを選択する、ということです。主はそのような者たちのことをなお罰せられてでも、ご自身に立ち帰り、いやされるようにと願っていらっしゃいます。私たちのすることは、破滅が来る前に早く主に立ち帰ることです。

マタイの福音書19章……妻を離縁することは律法にかなっているようでも、初めからそれが主のみこころではなかったのは、花婿なる主は花嫁なる教会を離縁されることは決してないからです。もっとも、淫らな行いにより妻を離縁することにおいてはそのかぎりではない、とイエスさまがおっしゃっているのは、主に選ばれたはずの人々が、主を捨てて偶像に行くならば、主は彼らのなすがままにされるという形でさばきを与えられる(ローマ1章)、ということに通じます。私たちがだれかと夫婦の関係にあるならば、それはキリストと教会の相愛関係であることを心に留め、その関係にふさわしくあるように祈ってまいりたいものです。

<祈りの課題>私たちが霊的にせよ、肉的にせよ、姦淫から守られますように。

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