181 6月30日 ヨシ2詩123-125イザ62マタ10

ヨシュア記2章……ラハブは、エリコが主のさばきの対象となっていること以上に、主ご自身を恐れました。それゆえ、自国の兵士たちよりも主のしもべなる兵士たちを優遇し、そのいのちを守りました。イスラエルの兵士たちはラハブとその一族のいのちを守ることを約束しましたが、それはとりもなおさず、主の祝福をラハブの一族にもたらすことを意味していました。私たちはいざというとき、この世の勢力と主のしもべの、どちらを優先するでしょうか?

詩篇123篇~125篇……主は御民を悪しき者どもから守ってくださると約束してくださいました。また同時に、御民が悪い道に踏み込むことのないように、従順の生き方をするならば必ず守ってくださるという約束をくださいました。まことに、主に敵対する悪しき者と、きよい主につくきよい御民がまじりあうことは、主のみこころにかないません。罪人である私たちはともすると悪の道にあこがれ、傾いてしまう者ですが、そのような弱い者であることを私たちは認め、主に拠り頼んでまいりたいものです。

イザヤ書62章……主を休ませてはならないとはどういうことでしょうか? それは、私たち主の民が救われるように祈りつづけるその祈りを絶やしてはならない、ということです。私たちがこの世の価値観や敗北主義に傾き、勝利の主のご栄光を現さなくてもかまわない、とばかりに、祈ることをやめるならば、そのような者たちに主はいったいどのように働いてくださろうというのでしょうか? 私たちは主を呼び求めることをやめてはなりません。私たちを輝かせてくださるのは主のみこころです。そのみこころを信じて、今日も祈りつづけるのです。

マタイの福音書10章……私たちはイエスさまを主人とする、主のしもべたちです。イエスさまに敵対する者たちは、イエスさまのことを悪魔呼ばわりします。そのような扱いを受けているイエスさまのしもべたちが、なおひどい扱いを受けるのは当然のことであると、イエスさまご自身がおっしゃいました。私たちはイエスさまのゆえに人々から悪口を言われ、ひどい扱いを受ける定めです。その定めにあることを恐れたり、恥じたりするならば、私たちは御国にふさわしくありません。それでも恐れてしまう心があるならば、その心をイエスさまが大胆な心に変えてくださるように、祈ってまいりましょう。

<祈りの課題>私たちの日々の証しの生活のために。特に、イエスさまに敵対的な人々に対して、ことばとよい行いをとおして証しをすることができますように。

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