189 7月8日 ヨシ10詩142-143エレ4マタ18

ヨシュア記10章……イスラエルが戦うにあたって、主ご自身が介入し、勝利させてくださいました。そのご介入は、天から石を降らせられたり、太陽や月を天にとどめられたりといった、もはや人間業ではなく、創造主ご自身以外ありえない御業という形でのものでした。私たちも日々戦いを経験していますが、その戦いには主ご自身が介在してくださっています。私たちは自分の生活に主の御手が臨むことを、積極的に日々求めてまいりたいものです。

詩篇142篇~143篇……このとき詩人ダビデは、サウルに追われた身となっていて、いついのちを失うかわからない状況に置かれていました。そのような中で、主が自分に御目を注いでくださるように祈っています。私たちも困難のただ中にあって、孤立無援、苦しみしか感じられないときというものがあるでしょう。しかし私たちは、そのような時において、自分に対して特別に御目を注いでくださっている主ご自身を体験することができる祝福をいただきます。

エレミヤ書4章……神さまは主の民をとこしえまでも守ってくださると約束されたのに、待ち受けていたものは徹底した滅びであるならば、まるで自分たちが神さまに欺かれたように感じるでしょうか。しかし、欺いたのはむしろ民のほうです。神さまにお従いするのは形ばかりで、心は偶像に売り渡しています。そのような者たちに対して神さまがさばきの御手を下されるのは、欺きではなく、むしろ当然のことです。

マタイの福音書18章……つまずきを起こす、すなわち、神さまとの交わりを断ったり、証しにならない行動につながったりする要素は、私たちの生活の中から徹底して排除する必要があります。その行動は時に、手を切り落としたり、目をえぐり出したりするような、痛み、また喪失感の伴うことですが、御国に入れば完全なからだになることを考えると、地上での喪失や痛みなど、何ほどのこともないのではないでしょうか。

<祈りの課題>私たちの生活の中に、もしも主との交わりを断つ要素があるならば、多少の犠牲が伴ってでもそれを生活の中から除く決断をすることができますように。

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