186 7月5日 ヨシ7詩137-138エレ1マタ15

ヨシュア記7章……主が聖絶せよと命じられたものは、どんなに欲しくても、またどんなに惜しくても、焼き滅ぼさなければなりません。なぜならば、それは神さまご自身が「いらない」とおっしゃったからです。いらないだけではありません。その品が残されているならば、それは人の心を神さまから物欲へと転じます。人がどんなに惜しがろうとも、それがあることは神さまの御目から見て、百害あって一利なしです。神さまが「捨てよ」と命じられたならば、どんな理由があっても捨てなければなりません。

詩篇137篇~138篇……主は私のためにすべてを成し遂げてくださる、そのように詩人は告白しています。主はこのブログをお読みの、まさしくあなたに注目していらっしゃいます。あなたのためにすべてのことを成し遂げてくださいます。そこまで言い切ることができるのは、あなたが、神のご栄光を現す器として用いられていて、すなわち、神のご栄光はあなたをとおして輝くからです。

エレミヤ書1章……主がひとたびお選びになった主の証し人は、主が強くしてくださいます。主はその証し人とともにいてくださると約束してくださっています。私たちも、この世においては主を証しする証し人です。私たちは決して経験不足でもなく、弱くもありません。主が遣わし、用いてくださるかぎり、私たちは証し人として歩むことができるのです。主との交わりの中で、その力をいただいてまいりましょう。

マタイの福音書15章……十戒に反する(この場合は「父と母を敬え」の戒めに反する)ことは、洗わない手でパンを食べることとは根本的に異なり、主のみこころをいたく損なうことです。宗教者は、いかにも宗教的な儀式には関心を持って集中しようとも、本来なすべき主のみこころを、宗教の名によっておざなりにすることを正当化してしまいます。私たちは普段の生活の中で、名前ばかりのクリスチャン生活にばかり関心を持ち、本来なすべき主のみこころを行うことに無関心になってはいないでしょうか?

<祈りの課題>読者の中で父上、母上が健在な方は、主のみこころにかなった孝道を実践できますように。

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