197 7月16日 ヨシ23使3エレ12マタ26

ヨシュア記23章……主にお従いすることを決心した者は、断固としてその決心を守らなければなりません。よほど気をつけないと、もともとその地にはびこっていた偶像礼拝の習慣に染まるものであると、ヨシュアは警告しています。私たちも異教の世界に生きており、特に結婚や職場選択という、生活に必須の決心をするにあたって、偶像の文化に妥協するようなことをしてしまいがちです。しかしそのような妥協は、やがて主への不従順という、きわめて不幸な結果を刈り取りかねません。主の共同体を守ることにおいても、私たちはお互いに気をつけ、不従順の罪を共同体に持ち込まないようにしたいものです。

使徒の働き3章……宣教というものは、たんなるいやしのわざだけで終わらせるべきものではありません。人々を悔い改めに導き、神に立ち帰らせてこそ、宣教は完成します。いやしだけではありません。英会話でもゴスペル教室でもいいですが、クリスチャンならではの活動をすることは素晴らしい一方で、その活動そのもので満足してはなりません。そこに集まる人々にはいつか悔い改めを説き、神に立ち帰らせる必要があります。私たちはそのように宣教の働きを展開していけるように、ともに祈ってまいりましょう。

エレミヤ書12章……偶像礼拝をする者に対する主のお取り扱いは公平です。主の民であるかどうかは関係なく、ともに大いなるさばきを受けます。しかし主は、民が滅びたままにはしておかれません。必ず立て上げ、再びチャンスを与えてくださいます。私たちにとっての祝福は、その与えられるチャンスに応答して、私たちがしっかり立ち上がり、主への従順の歩みをするかどうかにかかっています。

マタイの福音書26章……イエスさまは、三人の弟子が悲しみのあまり疲れ果てていることをご存知でしたが、それでも祈りに導きました。しかし彼らは祈れず、主への従順は失敗しました。私たちはいざというとき、祈るように主から促されているものですが、なんと肉が生きていて、御霊の働きである祈りに集中することができないものでしょうか。それでも主は、私たちが弱かろうと、祈れと促していらっしゃいます。私たちは従順によって、肉体の壁を超えることができるように、ともに祈りつつ励ましてまいりたいものです。

<祈りの課題>私たちの伝道が、福音をしっかり提示し、悔い改めを説くことにおいて実を結ぶことができますように。

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