179 6月28日 申33-34詩119:145-176イザ60マタ8
申命記33章~34章……モーセがその時代のイスラエルの民のただ中に存在した理由は、あらゆる力強い権威、あらゆる恐るべき威力を振るうためでした。そのような主のしもべはもはやそののち存在することはなかったのは、モーセが取り次いだみことばがすべて主の民、しるしと不思議を行われる神の民にとっての基礎になるためでした。私たちの手にしているみことばも、かつてイスラエルが耳にしたのと同じみことば、しるしと不思議を行われる神さまのみことばです。
詩篇119篇145節~176節……人はみな、羊のようにさまよっています。しかし、自分自身がそのようなさまよえる羊でることを自覚できる人は幸いです。そのような人は、どこに戻ればいいかがわかっているからです。詩人は、自分がさまよいながらも、主の仰せをなお忘れないでいることを告白しています。私たちもさまようような弱い者ですが、私たちは主の仰せなるみことばに心を留めているかぎり、さまよってもなお牧者なる主のもとに留め置いていただく者としていただけます。
イザヤ書60章……主が恵んでくださるイスラエルの祝福が述べられています。国々が仕えるようになる、ひれ伏す、これは、世界の片隅の小国、小民族には身に余るような光栄です。私たちもわが身を省みると、とても卑小な存在に思えないでしょうか。しかし、神さまはそのような私たちのことを、あらゆる国々、あらゆる民族にまさって偉大な存在としてくださいます。イエスさまを信じる信仰のゆえです。
マタイの福音書8章……イエスさまにお従いするということは、自分の親族を葬る、すなわち、最後まで面倒を見ることに優先するというのが、御国の原則です。私たちは神さまの働き(ベスト)を優先させるならば、それ以外の大事なこと(ベター)のために働いてくれる人は必ず与えられると信じて、献身すべきお方に献身する必要があります。
<祈りの課題>家族の問題(特に介護)のために、牧会の働きがままならないでいる働き人のために。
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