364 12月30日 Ⅱ歴35黙21マラ3ヨハ20

歴代誌第二35章……ヨシヤは民を歴史的な礼拝に導いたという点で素晴らしい王でしたが、エジプトに対して起こした野心によって滅びました。しかしこの野心は、単にヨシヤを滅ぼしただけではありません。ヨシヤに率いられるユダ王国を滅ぼすことにつながったのでした。まことに、神の民のリーダーがいかなる判断をするかということは、その群れの命運を左右することです。私たちは、主の民に仕える献身者が肉的な野心から守られるよう、祈って支える必要があります。

ヨハネの黙示録21章……私たち人間はだれもが、死ぬことを恐れます。それは、その死の向こうにある「火と硫黄の池」の存在を、だれしもどこかで意識しているからではないでしょうか。しかし、イエスさまを信じる者、すなわち、子羊のいのちの書にその名の記された者は、もはや死を味わうことがありません。まことのいのちなる神さまと、永遠にともに生きることになります。これ以上素晴らしい福音があるでしょうか。この素晴らしい福音ゆえに私たちは、イエスさまを人々に宣べ伝えるのです。

マラキ書3章……神さまは罪人を憐れんでくださるお方ですが、それでも、正しい者と悪しき者、神さまに仕える者と仕えない者が同じ取り扱いを受けるわけではありません。罪赦されたならば、神さまにお仕えする行動へと実を結んでしかるべきであり、その行いがあってこそ、人々の前にいつくしみ深い主が証しされ、みことばは宣べ伝えられます。その働きのために用いられることは、人にとって最高の祝福です。

ヨハネの福音書20章……復活のイエスさまが私たちに与えてくださった権威は、人の罪を赦す権威です。それはイエスさまが十字架の上で実現してくださったことであり、私たちもイエスさまを主と信じ受け入れた主の弟子であるゆえに、イエスさまの御名によって人々の罪を赦す権威が与えられています。私たちにとって罪を赦すことは、イエスさまに倣うことである以上、弟子の歩みの本質といえることです。罪を赦すということは私たちにとっては極めて難しいことですが、日々、私たちのこの大きな罪を赦してくださったイエスさまと深く交わることをとおして、私たちは人を赦す歩みへと踏み出すことができるようになります。

<祈りの課題>私たちにとって赦しがたい人を赦し、平安をいただくことができますように。

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