360 12月26日 Ⅱ歴31黙17ゼカ13:2-9ヨハ16

歴代誌第二31章……ヒゼキヤは、公的な礼拝においてのみ主を礼拝したのではありません。自分の財産からもいけにえをささげています。これは主の民の霊的リーダーである献身者に対して非常に示唆に富む模範を示しています。献身者は公的な場のみが礼拝の場所ではありません。私的な場においても、いや、私的な場においてこそ、主の御前にふさわしい礼拝をささげるべきです。

ヨハネの黙示録17章……世の終わりには、地を支配する反キリストの権力者がほしいままに振舞います。この者たちは子羊キリストに戦いを挑みます。しかし、イエスさまは勝利します。それはイエスさまこそ王の王、主の主だからです。しかし世の終わりには、地上の権力こそがすべてと人々は惑わされるようになります。このとき私たちは、それでもイエスさまにお従いすることができるように、今から恵みを求めてまいりましょう。

ゼカリヤ書13章2節~9節……世の終わりとは、主の民が火の試練をもって試されるときです。そのときになると、反キリストの勢力が猛威を振るいます。しかしそのときは、主の民が自分の信仰を大いに証しするときとなります。その証しによって、世の中が何と言おうとも、主こそが礼拝すべき方であることが示されます。それでも主にお従いしないならば、それはその選択をした者の責任であり、その者は滅びを自分で選び取った、ということです。

ヨハネの福音書16章……今私たちがみことばの真理を学ぶことができているのは、真理の御霊、助け主を、御父と御子イエスさまが私たちのところに送ってくださり、御霊なる神さまが私たちに真理を教えてくださっているからです。御霊によって私たちは主のご臨在を体験し、主のお導きを体験しています。まことに、私たちキリスト者の歩みは、御霊に導かれ、御霊に満たされ、御霊とともに歩む体験です。

<祈りの課題>世の終わりに大迫害が予想されようとも、毅然として主にお従いする私たちとなることができますように。

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