358 12月24日 Ⅱ歴29黙15ゼカ11ヨハ14
歴代誌第二29章……ヒゼキヤは、主を礼拝しないことがユダ王国とその主とエルサレムに主の御怒りを招いたことを知って、それに対して策を講じました。その策とは、国を挙げて主に立ち帰ることでした。実に、主との関係を回復するには、民全体の悔い改めが必須です。私たちにとっての悔い改めは、個人的なものにとどまらず、家族全体や教会全体のような、共同体にてささげるものである必要があります。
ヨハネの黙示録15章……神は憤られるお方であり、世の終わりには、その憤りを余すところなく地の上に注がれます。私たちはつとに、神は愛であると言いますが、その愛の根本には憤りがあり、その憤りを身代わりにイエスさまの十字架に注いでくださったという事実を忘れてはなりません。私たちもまた神の憤りを受けるべき存在でしたが、特別な恵みによって赦していただいたことを忘れてはなりません。
ゼカリヤ書11章……主に背くこの時代の者たちの行動は、のちの日に宗教指導者たちが神の子イエスさまを見捨てることにつながります。まことに人の罪は、イエスさまを見捨てるということにおいて極限に達します。私たちもその中のひとりであるにもかかわらず、あわれみをいただいて、イエスさまとその十字架を信じる者としていただきました。
ヨハネの福音書14章……私たちクリスチャンは、イエスさまを愛していると心から言えるようになりたいはずです。しかし、イエスさまを愛していることは、イエスさまの戒めを守ることによって証明されます。私たちは罪人であることを、戒めを守れないことの言い訳にして、怠けていてはなりません。戒めを守れるように、その力をイエスさまに少しでも求めていく必要があります。
<祈りの課題>イエスさまが与えられた戒めを少しでも守る者にしてください。
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