354 12月20日 Ⅱ歴24黙11ゼカ7ヨハ10
歴代誌第二24章……ヨアシュはエホヤダの死後、いとも簡単に主を見捨て、偶像に仕えました。これが人間の罪性というものの恐ろしさです。それまでどれほど主にお仕えしていたかということは、そののちの人生においてカウントされません。問題は「今」主の御前でどのように生きているかということです。私たちは「今」主の御前においてどのような態度でいますでしょうか。
ヨハネの黙示録11章……反キリストに魅入られた者たちは、主に従順な働き人が死ぬとき、贈り物を贈り合って記念するほどに喜びます。これが、私たちの生きている世界の様相です。私たちはこのような世にあって、預言者の役割を果たします。当然、私たちを待ち受けている状況は、極めて厳しいものです。しかし、最後まで耐え忍ぶならば、主は私たちのことを天の御国に携え挙げてくださいます。
ゼカリヤ書7章……私たちが気をつけなければならないことは、主を礼拝すること、主に仕えていることと自分で思っていることが、実は主のためではなく、自分のためのものでしかなくなる場合です。主はこのように、私たち主の民が形式的な宗教に陥って、隣人に対して具体的に愛を実践しないことを、大いにお嫌いになります。
ヨハネの福音書10章……イエスさまは御父のみこころにしたがって十字架にかかられましたが、それは同時に、イエスさまご自身が自分からいのちを捨てる権威を行使された、ということです。しかしこの権威は、私たち人間、イエスさまを信じる者を生かすために用いられた権威であって、自分のためではありません。いのちを捨てることが尊いのは、人を生かすためにそうするからです。
<祈りの課題>今日も私たちの助けを必要としている人のために、具体的に行動する私たちとなりますように。
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