353 12月19日 Ⅱ歴22-23黙10ゼカ6ヨハ9
歴代誌第二22章~23章……ユダの歴代の王のうち、女王アタルヤだけはダビデの直系ではなく、しかも、イスラエルに偶像礼拝をさせたイゼベルの娘でもありました。そのようなユダの暗黒期に宗教改革を行おうと立ち上がった祭司エホヤダの姿を見ましょう。私たちの置かれている世界も、霊的には極めて暗い状態にあるかもしれません。しかし、私たちはそのような中にあっても、まず自分から改革されるように祈って取り組む必要があります。その自分の改革はやがて、周囲全体の改革につながります。
ヨハネの黙示録10章……みことばは蜜のように口に甘いものですが、いざそれをわがものとし、そのとおりに行おうと黙想し、適用していこうとするならば、きわめて苦い思いをします。みことばはよいものであることがわかっていても、いざそれを行うことはなんと難しいことでしょうか。しかし、私たちは苦みに打ち倒されそうになりながらも、主に立ち上がらせていただいて、みことばを行う者としていただきたいものです。
ゼカリヤ書6章……イエスさまというお方は、ご自身のみからだという神殿を、十字架から3日で建て直され、ご自身が神の子であることをお示しになりました。私たち神の民は、この王なるイエスさまのみそばにて、王である祭司、聖なる国民としてお仕えする者、父なる神さまがイエスさまによってもたらしてくださった平和を享受させていただく存在です。
ヨハネの福音書9章……ユダヤの宗教社会ならびにその指導者たちは、盲人であった者の親の、生殺与奪の権限を握っていました。親たちはほんとうならば、喜びにあふれてイエスさまのことを証しできるはずだったのに、その喜びの証しは封じられていました。盲人だった者がその縛りを超えてイエスさまを証しできたのは、恵みというべきことでした。私たちもこの異教の社会に生きていて、イエスさまが堂々と証しできないもどかしさの中にいると感じるかもしれませんが、主は私たちに、そのような中でもイエスさまを証しする恵みを与えてくださいます。その恵みを祈り求めてまいりましょう。
<祈りの課題>時が良くても悪くてもイエスさまを証しできますように。
コメント
コメントを投稿