352 12月18日 Ⅱ歴21黙9ゼカ5ヨハ8

歴代誌第二21章……ヨラムはあまりにも破壊的な反キリストの道に歩み、国を淫行のごとき偶像礼拝によって迷わせ、ついには彼自身の最後もそのけがれた行いにふさわしいものとなりました。もちろん、神さまは父祖ダビデのゆえに、ヨラムの乱行をもってユダを滅ぼすことはなさらなかったわけですが、ユダに罪をもたらした責任者として、聖書はヨラムを激しく糾弾しています。私たちも恵みによって、私たちの住むこの世界は守られているわけですが、それは私たちひとりひとりの罪がさばかれないままでいる、ということではありません。私たちに悔い改めるべき罪があるならば、速やかに悔い改めるべきです。

ヨハネの黙示録9章……この描写は現代の(あるいは未来の)戦争を連想させるものであり、私たちは今にもこのような終末的破滅にさらされていることを思いますが、問題は、それでも人々が偶像礼拝、殺人、魔術、淫らな行い、盗みをしていることを悔い改めない、ということです。それほどまでに人は頑なだということを私たちは念頭に置きながらも、それでも神さまがこのような人間のことをあきらめてはおられないという、そのみこころを胸に、人々が悔い改めるように、この終わりの世においてみことばを宣べ伝えるべきです。

ゼカリヤ書5章……終末論的な描写です。全地はみことばによってさばかれ、それでもそのさばかれるべきこの地の民は、世界を支配する女に身をやつした反キリストに淫する者となります。私たちは全地を覆うようにみことばが天を飛び駆ける、その幻が見えるようにして生きていますでしょうか? この世界で目に見えるものがすべてだと思ってはなりません。この世界は主のみことばによってやがてさばかれます。

ヨハネの福音書8章……イエスさまの弟子になる条件は、イエスさまのみことばにとどまることです。もし、人がイエスさまのみことばにとどまるならば、罪が赦され、したがって律法ののろいから自由になるという恵みをいただきます。イエスさまの弟子とは、自分自身がイエスさまにあって自由であり、その自由をもって人を自由にする人です。

<祈りの課題>世の終わりに祈りつつ備えながらも、イエスさまに命じられたとおり、平和をつくり出す者となりますように。

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