351 12月17日 Ⅱ歴19-20黙8ゼカ4ヨハ7
歴代誌第二19章~20章……ユダという国の命運は、王が主にお従いする行いをしたか、しなかったかにかかっていました。王が主に従ったということは、国全体を主にお従いするように動員したということにおいて証しされました。まことの指導者は、主に対する自分の従順から来るその影響を、その率いている集団全体によい形で及ぼすことのできる人です。
ヨハネの黙示録8章……聖徒たちの祈りとは、すべてがひとつとなって御前に香のごとく立ちのぼるものです。私たちの祈りはひとつとして無駄なものはありません。私たちの祈りは、終わりの日のさばきに向けて積み重ねられるものです。それゆえ私たちは、祈ることに飽いてはなりません。すべてが天で聴かれ、地でかなえられるという信仰の確信をもって、今日も祈りましょう。
ゼカリヤ書4章……人は、大いなる山のごとき反キリスト、主のみこころを妨げる存在を見るとおののき、力を失います。しかし主は、そのような存在をものともされず、みこころを成し遂げられます。私たちは気落ちしていてはなりません。私たちは現実を見て気落ちするのではなく、現実を超えて働かれる全能なる主のご存在とそのみことば、御業に目を留めて、力をいただくべきです。
ヨハネの福音書7章……イエスさまは、主の兄弟たちがよかれと思ってアドバイスしたようには行動されませんでした。イエスさまは神の時にしたがって行動されました。私たちも主に動いていただき、ああしてほしい、こうしてほしいと希望することの多い者ですが、私たちが忘れてはならないことは、主はご自身の時にしたがって行動されるということです。そしてこれも確実なことですが、主がご自身の時にしたがって行動されることは、人の考えよりはるかにまさっています。
<祈りの課題>私たちが現実に左右されず、主の御力に委ねる者となりますように。
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