348 12月14日 Ⅱ歴16黙5ゼカ1ヨハ4
歴代誌第二16章……アサは王にふさわしく、非常に丁重に葬られました。それはそれだけ、ユダ王国において愛されていたからといえますが、アサの最後は悲惨なものでした。北イスラエルとのいわば「内戦」において主以外のものを求めることをし、今わの際にも医者を求めることはしても、主を求めることはしませんでした。人の真価はこのようなときに明らかになります。私たちはこのようなとき、主を求めることができていますでしょうか。
ヨハネの黙示録5章……みことばがあってもそれが読めていない、意味が分からないということは、実は、激しく泣くべき悲しいことです。しかし、悲しむだけで終わることではありません。最後の勝利を取ってくださったイエスさまがこのみことばを開いてくださいます。すなわち、すべてのみことばは、イエスさまによって読み解くことができるものです。イエスさまによって、私たちがみことばを理解できる者としていただいていることに感謝しましょう。
ゼカリヤ書1章……私たち神の民は、主がいつでも御顔を向けて顧みてくださることに期待します。しかしそのためには、私たちの側から主を求めることをしていかなければなりません。主に立ち帰るならば、私たちを懲らしめて私たちからあえて離れておられた主も、私たちへと帰ってくださいます。
ヨハネの福音書4章……王室の役人はイエスさまのしるしと不思議を必要としていました。しかし彼は、しるしと不思議を見なければ決して信じなかったわけではありません。彼には、イエスさまは必ずしるしと不思議に拠って自分の子どもを救ってくださるという信仰がありました。その信仰をもってイエスさまにすがりました。イエスさまが喜んでくださったのは、この役人の信仰でした。信仰がある者が神に喜ばれます(ヘブル11:6)。
<祈りの課題>私たちの信仰を増し加えてください。
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