344 12月10日 Ⅱ歴10黙1ゼパ2ルカ24
歴代誌第二10章……レハブアムは最初から、長老たちが善政を敷くようにとアドバイスしたその意見を聞く気はありませんでした。それは、それだけレハブアムがかたくなだったということですが、15節にあるとおり、神さまがそのように仕向けられたわけです。しかし、それはみこころには所詮あらがえず、人は罪を犯す定めであるということではありません。レハブアムがソロモンのように、民を治めるために知恵を求めたような敬虔さ、謙遜さ、知恵深さをはじめから持ち合わせていたならば、神さまがそう仕向けられることはありませんでした。
ヨハネの黙示録1章……イエスさまを見たヨハネは死んだ者のように倒れこみました。まるでイエスさまのお墓を守っていた番兵たちが、御使いを見て倒れて死人のようになったみたいにです。しかし、ヨハネのことをイエスさまは励まして起こしてくださいました。人はイエスさまに出会うならば、十字架にくぎづけになって死にます。しかし、イエスさまご自身が、永遠のいのちに生かしてくださり、もはや恐れることはありません。
ゼパニヤ書1章……主の民をそしるような異邦人たちは、主のさばきを受けてしかるべき存在でした。しかし主は、そのような世界中の民の中からも主を信じ、主を礼拝する者たちを起こしてくださると約束してくださいました。私たちもそのひとりです。私たちも滅びから免れさせていただき、主の民とともに、主を礼拝する恵みにあずかっていることに感謝しましょう。
ルカの福音書24章……イエスさまご自身が旧約聖書を要約されたおことばに注目しましょう。「キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」十字架と復活、そして世界宣教は、旧約の初めからひとつづきの永遠のテーマであり、私たちはこのテーマを念頭に置いてすべてのみことばを読むものです。そして私たちも、このテーマを神さまによって形づくらせていただいている一員にしていただいています。
<祈りの課題>私たち個人が、また、私たちの教会が支援している世界宣教の働きのために。
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