342 12月8日 Ⅱ歴8Ⅲヨハハバ3ルカ22

歴代誌第二8章……ソロモンは主の宮と自分の宮殿を建てるのに、20年の歳月を要しました。天の神さまと地の人を結ぶ神殿、そして、ダビデの裔の名の置かれる王宮を建てるには、それだけの歳月が必要だったわけです。これは、天の神と地の人を結ばれるイエス・キリストのからだなる教会がこの地にしっかり立てられることも、20年は見ないといけないということではないでしょうか。

ヨハネの手紙第三……教会の兄弟の愛というものは、人をキリストの愛によって受け入れているか受け入れていないかによって計られます。なまじリーダーシップらしき強さがあるばかりに、その強さが人を排除する方向へと作用するようなら最悪です。教会とは非寛容な場所であってはなりません。私たちはどのような人でも受け入れ、また、みこころとあらば送り出せるような、寛容にして人に固執しない、すなわち、人を大事にする歩みをしていく必要があります。

ハバクク書3章……私たちが生きている世界は疫病も存在します。食料の供給もいつ安定しなくなるかわかりません。それは、私たちの生きているこの世界が不完全だからです。しかし私たち神の民は、それで終わりではありません。私たちは神さまによって、雌鹿のごとく高いところを歩ませていただきます。それは、神さまは私たちのことを、天のみことばの糧をもって養ってくださる、ということです。そこには移ろう地上の不安定さに翻弄される人間の弱さはありません。

ルカの福音書22章……聖餐は別名を「主の晩餐」と呼びます。それは、主イエスさまご自身が給仕してくださり、弟子たちに食事をもって仕えてくださったということも意味します(26)。まことに聖餐とは、一過性の宗教儀式ではなく、イエスさまが直接仕えてくださっている現場において、イエスさまのその給仕をともにいただく、厳かにしてもったいないほどの恵みに満ちたひとときです。今度聖餐にあずかるとき、イエスさまのこの給仕してくださるお姿がそこに実現していることを心に留め、心からの感謝をもって聖餐にあずかりましょう。

<祈りの課題>私たちがお持ちしている聖餐(主の晩餐)を一過性の宗教儀式と捉えるのをやめ、そこにおいてイエスさまが仕えてくださっているその奉仕を心から受け、感謝するひとときとさせていただきますように。

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