341 12月7日 Ⅱ歴7Ⅱヨハハバ2ルカ21
歴代誌第二7章……主は、ご自身に従順であるならば、民が祈りをささげる宮を顧みてくださると約束してくださいました。しかし、不従順に歩み、主を捨てて偶像の神々に仕えるならば、宮を投げ捨てるとも語られました。主を捨てる歩みをやめない者にとって、もはや宮は無用の存在だからです。宮は天と地をつなぐイエスさまの象徴ですが、私たちクリスチャンも罪の歩みをやめないならば、イエスさまがその生活から取り去られ、極めて悲惨になることを心得る必要があります。
ヨハネの手紙第二……ヨハネは、婦人たち特有の弱さに配慮してこの手紙を書いています。巧言を弄してキリストの教えにとどまらない者が家を訪問してきたとき、そのことばにしてやられることにより、婦人たちから始まって教会全体に異端の教えが広がるようになってはなりません。昨今流行している異端は、多くが婦人どうしの人間関係を通じて広がっているものです。寂しさ、無聊さを一時的に紛らわしてくれるからと、話し相手になってくれる人に信頼し、それが取り返しのつかないことになる前に、こうしてみことばによってそれぞれが、教会に腐敗が蔓延することに備えての予防をする必要があります。
ハバクク書2章……主にお仕えしない者からは不品行や暴虐が実を結ぶしかなく、そのような者は嘲られ、滅ぼされるべき存在です。私たち神の民はいつの時代も、今の時代も、そのような存在によって苦境に追いやられるものですが、そのような反キリストの民も神を知る知識を得る日が来ると預言されています。私たちは同じ神のかたちに創造された彼らの滅びを願うのではなく、彼らがそのしている行いを悔い改め、主を信じ救われるように祈るべきです。
ルカの福音書21章……私たちの世界に大災害や戦争、大きな変化が起こると、そのことが世の終わりのしるしと結び付けられることは多いものです。そのとき人はなぜ恐れるのでしょうか。これから何が起こるか、「予測」するからです(26)。しかし、私たちのすることは「予測」するあまり絶望することではありません。このあらゆることを超えてこの地に来られるイエスさまを贖い主として、恥じることなく堂々とお迎えすることです(27~28)。
<祈りの課題>教会を食い物にするさまざまな異端から聖徒たちが守られますように。
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