339 12月5日 Ⅱ歴5:1-6:11Ⅰヨハ4ナホ3ルカ19
歴代誌第二5章1節~6章11節……ソロモンによって任命された賛美の歌い手、演奏者たちはおびただしい数でしたが、まるで一人のように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえたとあります。主の御前に召された会衆は、主を賛美することにおいて一致してしかるべきです。一致へと導いてくださる聖霊の導きも意識しないで、自分の快適さを求めて好き勝手に歌ったり演奏したりするならば、不協和音を生んでしまい、主にささげるにふさわしくない音楽になってしまいます。私たちは賛美において一致を求めてまいりましょう。
ヨハネの手紙第一4章……人となられたイエス・キリストを告白しない偽の教えは、いつでもキリスト教会において一定の影響力を行使します。神の子が肉体を取って人としてのこの世界に来られたこと、その身をもって十字架に死なれて人の罪を赦し、神の怒りから人を救い出してくださったこと……このようなことを主張しながらなお自分の教えを「キリスト教」の範疇に入れるような者、さらには自分たちこそキリスト教の主流であると主張するようなものは、霊を否定する唯物論の立場にありますが、実は彼らは反キリストの霊が働いていることにおいて、とても霊的です。私たちは聖霊の力により、彼らの偽りを見抜き、純粋な信仰を保つ必要があります。
ナホム書3章……アッシリアがその身に主のさばきを招く原因になった暴虐の行為は、もとをただせば遊女の淫行に例えられる呪術的な霊的姦淫に端を発するものです。人間はどんな民族であれ、創造主なる神のかたちに創造されているゆえ、イエスを主と告白しない霊的風土を保つ限り、それは神の目には霊的姦淫とみなされます。そのような者からは主のみこころを踏みにじる、愛に反する破壊的な実が結ばれるのは当然のことであり、それゆえに主はそのような偶像礼拝の民をおさばきになります。私たち神の民もそのような者たちに当然のように痛めつけられますが、最後まで耐え忍ぶならば、主はご自身とその民に敵対する者に破滅的なさばきを加えられ、私たちのことをイエスさまの十字架を信じる信仰ゆえに救い出してくださいます。
ルカの福音書19章……イエスさまはエルサレムに入城されてから、毎日神殿でみことばを教えられました。群衆はそれを聴いて喜びました。宗教指導者たちはそのようなイエスさまに対して怒りを燃やしましたが、神殿は宗教指導者たちのものではなく、イエスさまの御父のものであり、イエスさまがそこにおられるのは当然のことです。そしてイエスさまが神殿におられる目的は、人々にみことばを教えてくださるためです。私たちはイエスさまのみことばに耳を傾けましょう。
<祈りの課題>反キリストに働く霊を見分ける聖霊の働きを私たちがつねにいただき、教会をきよく守ってまいりますように。
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