335 12月1日 Ⅰ歴29Ⅱペテ3ミカ6ルカ15

歴代誌第一29章……ダビデは神の宮のために、決めていた以上のささげものをふんだんにささげ、その姿を見せたうえでイスラエルのリーダーたちに、さらにささげることを呼びかけ、結果、彼らはささげ、それがイスラエル全体の喜びとなりました。ほんとうの喜びは所有することにあるのではありません。主に喜びをもって自発的にささげることによってこそ、人はほんとうに喜ぶことができます。

ペテロの手紙第二3章……神の日の到来は早めなければならないものです。そのために私たちに求められていることは、かぎりなく高い水準をもって敬虔な生き方をすることです。私たちはこの世界が悪に満ちているにもかかわらず、なお忍耐をもってその日を来たらせないでいらっしゃる神さまのみこころに心を留めていますでしょうか。

ミカ書6章……主は人為的な宗教生活に関心を持ってはいらっしゃいません。主の御目に正しいことを行い、主のみこころに歩むことを愛し、主に近づいて主とともに歩むことを、主は私たちに求めていらっしゃいます。これはいわゆる宗教生活とは一線を画すもので、みことばに従った敬虔の生活、愛の生活というものは、きわめて具体的なものです。

ルカの福音書15章……兄息子は父から子やぎが与えられなかったことを、弟のためには子牛が屠られてパーティーが開かれたことと比較して、父のことを恨んでいますが、兄はなぜ自分には子やぎが与えられなかったのか理解していませんでした。友達と楽しむために子やぎが屠られたところで、それが父の栄光になるでしょうか。死んでいた子どもがよみがえるという父の喜びとは関係のないことです。私たちクリスチャンは、主に立ち帰る人が教会の人たちに喜ばれ、受け入れられていることを見て、うらやましがったり、ねたんだりするべきではありません。私たちのすべきことは、むしろともに御父の喜びに加わって喜ぶべきです。

<祈りの課題>きたるべき主の日を日々待ち望みつつ、主のみこころにかなう生き方をますますしていく私たちとなりますように。

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