327 11月23日 Ⅰ歴18ヤコ5ヨナ2ルカ7
歴代誌第一18章……ダビデが戦いで手にした戦利品を、神を礼拝するための道具として用いるべく再利用したことに注目しましょう。本来それらの道具は、悪魔と悪霊が身をやつした偶像の神々において用いられていたものでした。私たちにとっての霊的な戦いは、神のもとにあらゆるものを奪還するという戦いでもあります。
ヤコブの手紙5章……金持ちの富は腐るとみことばは語ります。終わりの日になると、金持ちたちは自分の拠り頼んだ富は何の役にも立たず、自分のいのちを一切救わないことを悟らされて絶望します。私たちはこのみことばが突き付けられてもなお、この世の富が大事だと思ってはいないでしょうか。この世の富を貧しい人のために手離すことが身についている人は、神の国にふさわしい人です。
ヨナ書2章……いのちを粗末にしたヨナを、神さまは憐れんでみこころに留めてくださいました。ヨナはそのような絶望的な海の底で神さまにほんとうに出会う体験をします。その体験は悔い改めを生み、悔い改めは感謝を生みました。私たちも時に、選択の誤りによって絶望の底へと叩き込まれることがあります。しかし神さまは私たちのことをお見捨てになりません。私たちを悔い改め、そして感謝へと導いてくださり、より強い神さまとの絆をそこで私たちは体験させていただきます。
ルカの福音書7章……イエスさまは、シングルマザーにやさしいお方、子どもを亡くして悲しみの中にあるシングルマザーに「泣かなくてもよい」と言ってくださるお方です。亡くなってしまった子どものいのちは主の御手のうちにあります。いのちをなくして悲しむのは本人ではなく、シングルマザーであり、慰めを必要としています。どんな人によっても何の慰めもうけられないそのお母さんも、しかし、イエスさまのとの出会いによってまことの慰めをいただきます。
<祈りの課題>私たちの周りにいる悲しみの中にある人が、イエスさまとの交わりの中で、まことの慰めをいただきますように。
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