325 11月21日 Ⅰ歴16ヤコ3オバルカ5
歴代誌第一16章……ダビデは神の箱の前で毎日仕えさせるために、アサフとその兄弟たちを任命しました。私たちは主の御前で毎日仕えるために、主から任命された礼拝者です。私たちが日々お持ちしているディボーションは、主の御前で毎日礼拝をもって仕えているということであり、私たちは毎日のディボーションをするために選ばれていると言っても過言ではありません。
ヤコブの手紙3章……人がことばで犯す罪は、神にかたどってつくられた人を呪い、大言壮語して自慢するということに表れます。そのように、主のみこころに反することばを口に出すことは、きわめて破壊的であり、主の御国を建て上げるべく選ばれている教師たちは、その働きに用いる自分のことばが時に御国を破壊する道具としてサタンに用いられかねないことをよく自覚し、自分のことばをたえず聖霊なる神さまにコントロールしていただく必要があります。
オバデヤ書……神さまがエドムをおさばきになる理由は、主の民が危機に瀕していたときにただ傍観していただけで、助けようとしなかったからだ、ということでした。主が神の民に注いでおられる特別なまなざしを侮ってはいけません。主の民が奪い取られるままになることに無関心である者、主の民よりも偉大であろうとする者は、主が必ずおさばきになります。私たちは今、苦しめられている中にあるかもしれません。しかし、主は私たちのことを、敵に報いてくださりながら必ず救い出してくださいます。
ルカの福音書5章……イエスさまのもとには大勢の群衆が集まってきましたが、イエスさまは寂しいところに退いて祈っていらっしゃいました。イエスさまは、働きをすることで支えられていたお方ではありません。どこまでも、御父との交わりの中に生きておられたお方です。私たちも働き(仕事)に支えられることにアイデンティティを見出していてはなりません。私たちのすることは何よりも、御父との交わりを最優先にすることです。
<祈りの課題>私たちが仕事中心に生きるのではなく、主との交わりを中心に生きるものとなりますように。
コメント
コメントを投稿