324 11月20日 Ⅰ歴15ヤコ2アモ9ルカ4

歴代誌第一15章……神の箱がいかにして賛美の音楽とともにダビデの町に入ってきたかをみことばが描くにあたり、その楽器を担当した人たちの名前を詳細に記しています。ここから、賛美というものを担当する演奏者たちの重要性を見ることができます。私たちは単に習慣として賛美をするのではありません。歌であれ演奏であれ、賛美をする者の名は天で覚えられています。私たちは賛美の「代表選手」とされていることを覚え、普段から霊性を主の御前に整える必要があります。

ヤコブの手紙2章……信仰に行いがないならば死んだものである、ということを説明する実例として、兄弟姉妹に着るものや食べるものがないときのことが挙げられています。私たちにはこのような兄弟姉妹が見えていますでしょうか? そして、イエスさまが私たちのためにいのちを捨ててくださったことに感謝する信仰が、その人たちに対する施しという形で実を結んでいますでしょうか?

アモス書9章……主の怒りは完全です。神の民はその身分にもかかわらず、神さまに反逆する道を選びました。それゆえ神さまはその民に完全な怒りを注がれました。しかしそのような中でも、民の中に救われる人を残してくださったのは、神さまのあわれみのゆえです。私たちもあわれみによって、神の完全な怒りから救っていただいている者です。私たちはただ、神さまのこの恵みに感謝して生きる必要があります。

ルカの福音書4章……サタンはみことばを盾にイエスさまを誘惑しました。しかしイエスさまは、その誘惑に対してみことばをもって返されました。みことばはただ用いればいいのではありません。時にその用い方次第では、サタンを喜ばせることになりかねません。その間違った用い方とは「自分の栄光のために用いる」ということです。イエスさまの用い方は「神の栄光のために用いる」ということでした。

<祈りの課題>私たちがみことばを適用するとき、自分の栄光ではなく、神の栄光が現れますように。

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