323 11月19日 Ⅰ歴13-14ヤコ1アモ8ルカ3
歴代誌第一13章~14章……ペリシテ人はイスラエル相手に敗走するにあたり、自分たちの神々を置き去りにしていきました。彼らが後生大事にしていた神々は彼らを救わなかっただけではなく、彼らにとっての神々への献身がその程度のものでしかなかったということです。私たちも、この世の者たちと同じような献身でしかなかったならば、いざというときに私たちは、まことの神さまを見捨てるような暴挙に出ないでしょうか。よくよく省みる必要があります。
ヤコブの手紙1章……この章の最後に、ほんとうの宗教というものについて定義をしています。それは、孤児ややもめたちが困っているときに世話をする、という、極めて具体的な実践内容で現れています。私たちの生きているこの時代にも、施設にいる子どもたちやシングルマザーのような大変な暮らしをしている人たちは、とても残念なことですがたくさんいます。私たちはいったい、彼らに対してどんな具体的な愛の奉仕をしているでしょうか。
アモス書8章……この世は不正に満ちていますが、正しくあるべき神の民までが不正を行うようならばおしまいです。神さまは特別なさばきをもって神の民に臨まれます。そのさばきは、みことばが一切聴けなくなるという形で臨みます。私たち人間はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつのことばで生きる存在です。私たちからみことばが取り去られたら、私たちは死ぬしかありません。私たちはその恐るべき飢饉に臨む前に、私たち主の民が義を行う者となるように祈り、義を実践する必要があります。
ルカの福音書3章……バプテスマのヨハネは、下着を二枚持っている者、食べ物を余分に持っている者は貧しい人に分け与えるように命じました。ここでも、ほんとうに福音に生きる人は、分け与えるという形で実を結んでしかるべきであることが示されています。私たちは何を、どこに、いつ、どのように、分け与える必要があるでしょうか。
<祈りの課題>私たちの持っているもの(お金)を必要なところに分け与えることができますように。その分け与える場所はどこか、示してください。
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