322 11月18日 Ⅰ歴11-12ヘブ13アモ7ルカ2
歴代誌第一11章~12章……ダビデを助け、ダビデのために戦う者たちに臨む祝福が描かれています。イエスさまはダビデのすえとしてこの世界に来られたので、旧約のダビデはイエスさまの象徴と言えますが、私たちはイエスさまの側について戦うことにより、大いなる祝福を主からいただくことができます。私たちは主のために、また、主とともに戦っていますでしょうか。
ヘブル人への手紙13章……イエスさまは門の外で十字架にかかられ、苦しみをお受けになりました。私たちが行くべき場所は、宿営の外のイエスさまの十字架のみもとです。私たちはイエスさまの十字架を思うならば、宿営の中で安逸をむさぼっている場合ではありません。私たちはイエスさまの十字架の悩みと恥を身に帯びて、この世界に対し、大胆に十字架を証しする者でありたいものです。
アモス書7章……預言する者の預言をとどめようとする者に対して、主がどれほどの呪いをもたらされるかをアモスは語っています。私たちはときに、世の脅かしによって主のみことばを語るのをためらってしまうこともあるかもしれません。しかし、みことばを語ることをとどめる者に対しては、主がそれ相応の取り扱いをなさいます。私たちはみことばを語ることにおいて、人を恐れるのではなく、神さまを恐れるべきです。
ルカの福音書2章……イエスさまは神と人に愛されたとあります。人がキリストの似姿になるということは、神と人に愛されるということをもって証しされます。私たちは神と人に愛されるべくして生まれ、育てられている存在です。愛されることを拒んではいけません。私たちは神と人から受ける愛によって、神と人を愛するのです。
<祈りの課題>私が神を恐れ、神を愛する者として成長しますように。
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