321 11月17日 Ⅰ歴9-10ヘブ12アモ6ルカ1:39-80

歴代誌第一9章~10章……主がサウルから王位をはぎ取られたその最大の理由として書かれていることは、霊媒に伺いを立てたことでした。主と交わって政治を行うべきイスラエルの王にとって、悪霊と交わるということは、最もしてはならないことでした。私たちも王である祭司として、悪霊を自分の中に取り込むことをしないように、見るもの、聞くもの、行くところに、細心の注意を払う必要があります。

ヘブル人への手紙12章……私たち主の民、主の子どもたちが、主からの訓練を受けるのは当然のことです。訓練とも思えないような生活をただ続けているだけでは、それは祝福とは言えません。私たちは訓練という、できれば避けたいような厳しい目にあいながら、主のきよさにあずからせていただけるのですから、訓練はむしろ祝福です。

アモス書6章……主から離れて安逸をむさぼる姿勢は、主の公義をないがしろにし、弱い人々が踏みにじられるという悲しむべき結果をもたらします。私たちはできれば、厳しくない生き方を選択しようとしますが、そのことはどれほど、みこころから外れた、すなわち、愛を不従順に取り換える生き方しかもたらさないことでしょうか。私たちは主を恐れているならば、むしろ厳しい道を喜んで選択し、弱い人に愛をもって仕えるようにならなければなりません。

ルカの福音書1章39節~80節……ここで繰り返されていることは、「聖霊に満たされること」です。まさしく、イエスさまが来られるということは、聖霊の満たしという喜びを受けることです。イエスさまの臨在と聖霊の満たしは不可分の関係にあります。私たちが聖霊の満たしをいただきたいならば、自分を明け渡し、イエスさまを心の王座にお迎えすることです。

<祈りの課題>私たちが、御霊に満たされなさいという主のみこころに従順になりますように。

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