320 11月16日 Ⅰ歴7-8ヘブ11アモ5ルカ1:1-38
歴代誌第一7章~8章……ベニヤミンを祖とするサウルの家系が記されています。サウルは失敗した王でしたが、神さまが特別に恵みによって、小さい部族とされてしまった中から王として立ててくださった存在であり、したがって彼はどこまでも、自分ではなく、主を誇りとするべきでした。私たちもまた、恵みによってイスラエルに接ぎ木されている存在として、そのように神の民に加えてくださった主を誇りとするべきです。
ヘブル人への手紙11章……信仰によって生きた先達の記録です。彼らは神さまに喜ばれていました。なぜならば、信仰があったからです。私たちは少しも疑わずに信じて願う信仰があるでしょうか? その信仰によってこそ、私たちは神さまに喜んでいただける存在とならせていただけます。
アモス書5章……主がご自身の民に求めていらっしゃるものは、儀式としての宗教行為ではありません。主が求めておられるのは公正と義によって生きることです。そのように生きていることは、隣人に対して愛とあわれみを実践していることによって証しされます、まことに信仰生活とは、愛の実を結んでこそ意味のあるものです。
ルカの福音書1章1節~38節……イエスさまを宿すということは、恵まれた人と言われる、ということです。マリアがイエスさまを胎内に迎えたことは神さまの一方的な恵みで成ったことですが、私たちもまた、主の一方的な恵みによってイエスさまを主と告白し、心の中にお迎えした存在です。そのような私たちのすることは、みことばどおりがこの身になるようにと、マリアのごとく従順な姿勢をお示しすることです。
<祈りの課題>私たちが今日もみことばを信じて、主の恵みに拠り頼んでみことばへの従順を果たす者となりますように。
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