318 11月14日 Ⅰ歴3-4ヘブ9アモ3詩146-147

歴代誌第一3章~4章……ヤベツは痛みのうちに生まれました。そんな彼は、自分が痛みを覚えることがないようにと祈り、主はその祈りを聞いてかなえてくださいました。実に、痛むということ、痛みを覚えるということは、本来神さまが私たちに人間に願っていらっしゃることではありません。私たちは痛みのうちにあるとき、そのような自分であることを受け止めるとともに、その痛みから救い出してくださいと主にお祈りしてよいのです。主はその祈りを聴き届けてくださいます。

ヘブル人への手紙9章……イエスさまは十字架の上で私たちの罪を赦すためにこの世界に来てくださいました。しかし、やがてイエスさまは再臨されます。それは、イエスさまを信じ待ち望んできた私たちを救ってくださるためです。このことは、私たちが死ぬこと、死後さばきにあうことと同じくらい確実なことであり、私たちはイエスさまのゆえに、さばきから免れさせていただいています。

アモス書3章……主がイスラエルの民を救い出されたということは、その民が主の掟に従って歩むことが前提となっています。正義なる主のみこころにふさわしくないままで生きる自堕落な者を主がそのままにされることはありません。私たちは主の恵みによって選んでいただいているという自覚があるならば、その選びにふさわしく、主のみこころに従順であるように、主の恵みに拠り頼んでしかるべきです。

詩篇146篇~147篇……賛美というものは本来楽しいものです。それゆえに、賛美とは楽しさの中でささげられるべきです。歌詞の意味も意識せず、ただお勤めのように歌うだけのものを、果たして「賛美」と呼んでもいいものでしょうか。私たちは普段、習慣のように楽しくもなく賛美を歌っていないか、よくよく自分自身を省みる必要があります。

<祈りの課題>私たちにとっての賛美が、主との生きたコミュニケーションになり、喜びと楽しさに満ちたものとなりますように。

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