316 11月12日 Ⅱ列25ヘブ7アモ1詩144

列王記第二25章……列王記第二の末尾の章は、ユダ王国が悲惨な終末を迎えたことを記録しています。しかし、そのいちばん最後に当たる部分は、エホヤキンが囚人の身分から回復したさまを描いています。主はご自身の時に、ご自身の民を回復してくださるお方です。私たちがもし、主の懲らしめにあったような悲惨な身の上になっていたとしても、それで終わったと思って絶望してはなりません。主は私たちが悔い改めるならば、必ず回復を与えてくださいます。

ヘブル人への手紙7章……イエスさまは永遠の祭司、完全な祭司です。私たちはこのお方のただ一度のいけにえ、十字架といういけにえによって、完全なものとしていただけます。私たちのすることは律法主義でみことばを守り行うことではありません。みことばを完全に守り行なってくださったイエスさまとの交わりによって、みことばを守り行う者へと変えていただくこと、これが私たちの課題です。

アモス書1章……主のさばきは、ご自身のおきてに背いて行動するすべての者に臨みます。すべてを見通される主の御目を逃れる者はだれもおらず、したがってそのさばきを逃れることのできる者はだれもいません。私たちは主のみことばをお聴きしているというならば、そのみことばにかなった生き方をして叱るべきであり、もしみこころに背いていることに気づかされたならば、悔い改める必要があります。

詩篇144篇……私たちは主の御目から見れば「異国人」に取り囲まれて生きています。「異国人」は初めから主のみことばに従って生きることをせず、その語ることも、生きる法則も、みな偽りです。私たちは彼らにとっての常識に染まり、それを自分たちにとっても常識と受け取って、神さまのみことばに従わないことの言い訳にしてはなりません。私たちはこのような反逆の民(異国人)の中にあって、主に守っていただいて、主にお従いすべき存在です。

<祈りの課題>守り行うことが困難なみこころが示されても、主の恵みによって守り行わせていただく私たちとなることができますように。

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