315 11月11日 Ⅱ列24ヘブ6ヨエ3詩143
列王記第二24章……ユダの亡国に至る記述ですが、エホヤキムの時代にユダが攻撃されたことは、「ユダを主の前から除くという主の命による」と総括されています。これは、ユダ自身が主を自分たちの前から除き、偶像の神々を慕い求めたゆえです。実に、偶像礼拝という貪り、貪りという偶像礼拝を捨てない者は、主がご自身の御前から捨てられるということを、私たちは恐れをもって受け止める必要があります。
ヘブル人への手紙6章……イエスさまを信じてから堕落してしまうならば、そのような者はもはや神に立ち帰ることはできない、という、実に恐ろしい警告のみことばが書かれています。しかし、私たちはこのみことばに震え上がるのではなくて、救いにつながること、すなわち、聖徒に仕える教会生活を主が覚えておられるということを心に留め、今日もイエスさまの十字架の完全な贖いの事実に拠り頼みながら、積極的に主とそのからだなる教会に仕える生き方をしてまいりたいものです。
ヨエル書3章……終わりの日の主の民の回復が語られています。主の民はひどい虐げにあいました。しかし主は、ご自身の民の味方でいらっしゃるので、そのような目にあわせる者たちにはてきめんにさばきを加えられ、民を救い出して、御国に永遠に住まう者としてくださいます。私たちは異邦人でしたが、この民とともに御国を相続する者としていただきました。
詩篇143篇……私たちはときに、まるで自分が主のさばきにあったかのように苦しい目にあいます。しかし私たちはそのようなとき、すべきことがあります。それは、自分にとっての昔の日々、主が自分になしてくださったすべてのみわざに心を留めることです。主は私たちのことをずっと愛してこられ、よいことばかりをしてくださいました。それがよくないことと考えるのは、私たちの受け取り方が肉的になっているため、サタンの惑わしにあっているためです。苦しみの中にあって私たちが主の御名をほめたたえることを学ぶなら、主はそこに大いなるご自身の栄光を顕してくださいます。
<祈りの課題>私たちが今日も、救われている者としてふさわしく主にお仕えする者となりますように。具体的にどのようにお仕えすべきか、祈って示していただきましょう。
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