311 11月7日 Ⅱ列20ヘブ2ホセ13詩137-138
列王記第二20章……祈りは聴かれます。日時計の影があとに戻るような、現代科学をもってしてもその仕組みがわからないような恐るべきみわざを示されてでもヒゼキヤの祈りに応えてくださったように、神さまは私たちの祈りが、人間的にどんなに考えても不可能に思えるようなことであっても、みこころにかなうものであるかぎり、必ず応えてくださいます。主は私たちに対し、その信仰を働かせて祈ることを求めていらっしゃいます。
ヘブル人への手紙2章……イエスさまが肉体をとってこの世界に来られたのは、御使いではなくて人を救い出してくださるため、すなわち、私たちのことを救い出してくださるためでした。ゆえに、私たちにとってもっとも大事なことは、私たちを救い出してくださったイエスさまの十字架の御業です。いちばんないがしろにしてはならないことです。
ホセア書13章……荒野とは主に拠り頼むように鍛えられる場所ですが、主は私たちのことをあわれんでくださり、私たちが苦しむことのないように、安定した環境に導いてくださいます。しかし私たち人間は恩知らずにも、その安定した環境の中で、かえって主から離れる道を選びます。私たちは安定した環境に置かれているかもしれませんが、そのような中で私たちは、主を見失うことなく、たえず主と交わる者となる恵みがあるように祈ってまいりましょう。
詩篇137篇~138篇……主は高くあられるお方ですが、低いところにある者に目を留めてくださり、引き上げてくださるお方です。それゆえに主は偉大なお方です。私たちはイエスさまの十字架を信じる信仰に入れていただいたゆえに、さばかれることがないばかりか、主とともに統べ治める者としていただいています。今は低いところにいるようでも、世の終わりには、いと高き天国にまで引き上げていただく、それが私たちです。
<祈りの課題>今日も、どんなときも、イエスさまの十字架を大事にして生きる私たちとなりますように。
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