308 11月4日 Ⅱ列17テト3ホセ10詩129-131
列王記第二17章……北イスラエル王国の滅亡と、それに引きつづいて諸民族が続々とその首都サマリアに入植した様子です。主がご自身の民と結ばれた契約は、ただ救い主なる主だけを恐れ、主だけを礼拝せよ、というものでした。しかしイスラエルの民にせよ、その後に入植した者たちにせよ、主を礼拝しているようで、実は異邦の神々を同時に礼拝する(すなわち、主だけを礼拝せよという主のみこころに反することを行う)ということをしていたのでした。私たちもすべきことは、主だけを礼拝することです。主以外のものも同時に大事にしようという、私たちの中の貪り(偶像礼拝)を除き去ることです。
テトスへの手紙3章……分派をつくるということは、決して推奨されるべきことではありません。その母体である教会が、聖書的に健全であるならばそうです。私たちのすることはそのキリストのからだなる教会が健全に保たれるべく、重箱の隅をつつくような神学的議論に終始するのではなく、主を信じている者にふさわしい、よいわざに励むことです。
ホセア書10章……偶像礼拝に対する究極のさばきが臨むさまが、イスラエルの口による恐ろしいことばで表現されていますが、このことばはイエスさまが、十字架に向かう道の沿道で泣き叫ぶ女性たちに向かって語られたみことばです。人の罪はまことに偶像礼拝、イエスさまの十字架によらずしては赦されない罪であり、この罪を十字架の前に悔い改めないならば、私たちは永遠に滅ぼされるという究極のさばきを受けます。
詩篇129篇~131篇……主が恐れられるべきお方なのは、罪人をさばかれるさばき主であられるからだけではありません。その罪を完全に赦してくださるお方であるからです。私たちはイエスさまの十字架を信じる信仰によって、罪を完全に赦していただいた存在であり、それゆえになおさら、主を恐れつつ罪から遠ざかって生きていくべきです。
<祈りの課題>私たちが罪を避け、よいわざに励んでいくことができますように。
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