307 11月3日 Ⅱ列16テト2ホセ9詩126-128
列王記第二16章……アハズ王のしたことは、みこころにより定められていた主の宮、麗しい御名の置かれた主の宮を、自分勝手に壊していったということです。アッシリアの脅威にさらされていたという事情はあったものの、アハズのしたことは、神さまよりもアッシリアを恐れたということで、その結果、神さまの御名の麗しさをないがしろにした、ということです。私たちもまた、身の回りの大小の事情を神さまを礼拝することよりも大きく見て、神さまの御名をないがしろにしてはいないでしょうか。
テトスへの手紙2章……恵みというものは、イエスさまに罪を赦されてラッキー、とばかりに、自分勝手に生活するためのものではありません。むしろ、そのような不敬虔とこの世の欲を捨て、慎み深く、正しく、敬虔に生活することをこの世において実践するためのものです。私たちが神の恵みを悟るならば、私たちの生活が変わります。
ホセア書9章……主の民は例祭をするように、宗教行為をすることはします。しかし、実際に彼らのしていることは、主から離れ、偶像礼拝の貪りにふけることでした。主はそのような者をご自身の御国から追放されます。私たちも、主の恵みによって救っていただいた者ですが、その恵みを軽んじ、自分勝手なことをすることから離れないならば、主のお心はどうなるでしょうか。私たちはつねに悔い改める必要があります。
詩篇126篇~128篇……種入れの種、は、食べるための種も底をつき、最後の可能性を信じて蒔く種です。私たちはその種蒔きをするとき、涙を流すほど苦しみ、また、悲しみます。私たちがそれでも種を蒔くのは、その向こうに収穫を与えてくださる主を信じるからです。私たちも今、主のための労苦で悲しんでいるかもしれません。しかし主は、必ずその労苦に報いてくださいます。
<祈りの課題>今日の労苦に主が報いてくださるという信仰を働かせますように。
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