304 10月31日 Ⅱ列13Ⅱテモ3ホセ5-6詩119:145-176
列王記第二13章……エリシャの遺骨が死んだ人をよみがえらせた、ということは、すでに天に移された人々の記録である主のみことばが、霊的に死んでいる人を永遠のいのちに生かすものであるということを象徴しています。私たちは本来、罪と咎の中に死んでいた者でした。しかし私たちはみことばをとおしてイエスさまに出会い、永遠のいのちに生かしていただき、今なお日々みことばをいただいていのちの中にとどまるものです。
テモテへの手紙第二3章……終わりの日にはクリスチャンと呼ばれる人々の中に、自己中心に端を発するきわめて不敬虔な行いにふける者たちが現れ、キリスト教会の中で幅を利かせるようになります。彼らにたぶらかされる者は一定数教会の中に現れるものですが、そのような者は学ぶことは好きでも、真理を知るに至りません。その学びがとても自己中心で、実際には聖書の真理によって悔い改めに至ることを拒否しているからです。私たちは果たして、日々悔い改めに至るためにみことばの学びに取り組んでいますでしょうか?
ホセア書5章~6章……神さまは形式的な宗教行為をお喜びになりません。私たちが真実の愛に生きることを喜んでくださいます。しかし、真実の愛を実践することは、宗教的な義務を果たすような行動をすることとは比べ物にならないほど難しいことです。私たちには愛を行う力はありません。それゆえに、私たちは愛なる神さまに拠り頼むのです。
詩篇119篇145節~176節……私たちはみことばをお読みするとき、この世の何にもまさる期待を抱いてみことばに向かっていますでしょうか? まことに、みことばから真理を教えていただくことは、大きな獲物を得るようなものです。創造主なる神さまは、私たちのために大いなる獲物を用意してくださるようにみことばの真理を私たちの前に用意してくださり、みことばをお読みするたびに喜びを味わわせてくださいます。
<祈りの課題>私たちが日々期待を持ってみことばをお読みすることができますように。
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