303 10月30日 Ⅱ列11-12Ⅱテモ2ホセ3-4詩119:121-144
列王記第二11章~12章……主の宮に忠実だったヨアシュが結局はどのような態度を取るか、主はアラムの王ハザエルを用いて試されました。ヨアシュはハザエルに主の宮の黄金や宝物、すなわち主のものとして聖別されたものを貢ぐことによって決着をつけました。このことは、ヨアシュのそれまでの主の宮に対する功績をぶち壊しにするものでした。私たちも、かつて主の御前にどのような態度でいたかが問われるのではありません。「今現在」どうであるかです。
テモテへの手紙第二2章……ことばについての論争はそれに参加する者を滅ぼします。私たちはそのような論争にはまりやすい弱い者であることを認め、また、そこから救い出されるように、ことばの次元で争うのではなく、いかにしたらみことばを生活に適用し、主のみこころを実践することができるかを求めていく必要があります。
ホセア書3章~4章……もし、自分の妻が姦淫したらと思うと、夫はいてもたってもいられなくなるでしょう。しかし神さまはまさにそのような裏切りを被られたのです。本来ならば、偶像に走った者たちはそれゆえに神さまの怒りを受けるべき者でした。イエスさまの十字架は、そのような赦されざる罪を赦していただくために、絶対唯一必要なもので、私たちはイエスさまの赦しを通ってようやく、御父の御前に行くことができます。
詩篇119篇121節~144節……私たちにとって敵というものは、神さまのみことばを忘れている者です。彼らにはそもそも神さまのみことばがうちにありませんし、それゆえ彼らは、価値観も生きる指針もみこころから離れ、行いも到底みこころにかなうものではありません。しかし神さまは、そのような彼らのことでどれほど心を痛めておられることでしょうか。私たちがそのような者たちの中から恵みによって救われていることに感謝し、彼らもまた、そのような神への反逆から救いに導かれるように、敵を愛する祈りをささげてまいりたいものです。
<祈りの課題>みことばを日々学び、悟らされたみことばを実践していく私たちになりますように。
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