299 10月26日 Ⅱ列7Ⅰテモ4ダニ11詩119:25-48
列王記第二7章……イスラエルの景気を回復させるために主が用いられたのは、ツァラアトに冒された人々でした。もちろん、主ご自身がアラムの陣営に特別に御業を行われたことが、アラムの陣営がもぬけの殻になった最も大きな理由だったのですが、そのことをイスラエルに知らせるために、捨て鉢になった彼らを用いられるとは、主の御業は驚くばかりです。私たちは自分のことをちっぽけだとか、用いられないとか考えてはいないでしょうか? 主はどのような人のことをも、ご自身のご栄光のために用いてくださいます。
テモテへの手紙第一4章……7節に注目しましょう。俗悪で愚にもつかない作り話、これは、神学をこねくり回して聖書を唯一絶対の神のみことばから人間的な書物へと引き下げ、その前提で、ああでもない、こうでもない、という、不毛の議論に持ち込むことです。そのような議論をするのではなく、敬虔のために自分を鍛錬する、弟子訓練の歩みこそが信徒に求められた道であるというわけです。聖書を神のみことばであると信じ告白することが前提の弟子訓練の歩みには、そのような不毛な議論の介在する余地はありません。
ダニエル書11章……世界の終わりというものは、みことばに記されているとおりに実現するものです。この終わりの時とは、大言壮語する反キリストが滅ぼされる時であるのとともに、聖徒たちが練りきよめられ、白くされて主の御前に出るにふさわしく整えられる時でもあります。私たちはすでに、世の終わりの中を歩んでいるかのように思えるかもしれませんが、恐れてはなりません。これは反キリストにさばきが下り、私たちが主の御前にきよめられる時です。
詩篇119篇25節~48節……この箇所は特に、「みことば」、「戒め」、「仰せ」、「さとし」ということばが繰り返し用いられています。主のみことばによってどれほどクリスチャンは力づけられ、励まされることでしょうか。まことに私たちの歩みは、みことばとともにある歩み、みことばに近づく歩みです。今日もみことばによって教えられることに心から感謝いたしましょう。
<祈りの課題>今日お読みしたみことばによって、今日も、そしてこれからも生きるものとなりますように。
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