298 10月25日 Ⅱ列6Ⅰテモ3ダニ10詩119:1-24
列王記第二6章……エリシャを目指して攻撃を仕掛けてきたアラムの軍隊に対して、主は彼らを攪乱された末にエリシャのもてなしを受けるようにされました。主は彼らを滅ぼすこともできたはずですが、主は彼らの敵意を祝福に変えられました。これが主の取られる方法です。私たちも、主と自分に敵対する者たちに対し、こちらからも敵意を燃やしたくなることがあるかもしれませんが、主が私たちに望んでおられることは、彼らの祝福を祈ることです。
テモテへの手紙第一3章……信者になったばかりの人で、献身を志す人は、燃えています。それはすばらしいことです。しかし、彼らはまだ主のみことばの奥義を充分に知っているとは言えません。砕かれるべき要素も多々あります。それを、この人はすばらしい信仰を持っているから働きを任せて大丈夫だなどと言ったりするならば、その人にとっても、教会にとっても、不幸なこととなります。
ダニエル書10章……12節に注目しましょう。私たちの主に対する態度が問われています。私たちは心を定めて悟りを得ようとしているでしょうか。神さまを自分の神さまと信じ告白し、その御前で自分のことを戒めようとしていますでしょうか。もしそうならば、神さまはそのような私たちの祈りを聴き届けてくださいます。
詩篇119篇1節~24節……若い人は多くの誘惑にあいます。しかしきよいお方である主は、誘惑に弱い若者であろうとも、誘惑に打ち勝ちきよい生き方をすることを願っていらっしゃいます。そのために若者たちは、主のみことばどおりに主の道を守ることが求められているわけですが、その生き方を全うするためには、日々みことばを黙想し、適用し、実践する歩みをし、教会という共同体においてともに実践したみことばを分かち合うことが必要となります。そのような、主の弟子としてともに訓練される共同体をつくることは、主に喜ばれる教会形成です。
<祈りの課題>教会の中にふさわしい働き人が立てられ、ある程度の時間がかかってもよい形に成熟へと導かれますように。
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