297 10月24日 Ⅱ列5Ⅰテモ2ダニ9詩117-118
列王記第二5章……ナアマンは一度は不機嫌になりました。自分の望んでいた方法でいやしてもらえるわけではなかったからです。しかし、ナアマンの頭の中にあったのは、アラムの神々の宗教的文化であって、決してそれは創造主なる神さまがみわざを行われる方法ではありませんでした。いみじくも従者たちが、もしエリシャがナアマンに難しいことを命じたならきっとしたはずだ、と言ったとおりで、人はいかにも困難な「修行」のごとき宗教行為を好んでも、ただ信じるだけ、従順にお従いするだけの単純な信仰には価値を見いだそうとしないものです。それを突破するのは、謙遜に身を低くして主のみことばに聴き従う姿勢です。
テモテへの手紙第一2章……主の働き人の役割は、キリストがすべての人の贖いの代価としてご自身を与えてくださったことを、すべての人の前に示すこと、これ以外にありません。もちろん、夫婦生活、育児、食べること、趣味、生活の糧を教会外で得る必要のある教職者は仕事、することはいろいろありますが、すべてはその宣教の働きに直結するものであるべきです。宣教の働きに関係のないことであるならば、私たちはそこから足を洗わなければなりません。
ダニエル書9章……ダニエルは民の不従順をわがこととして悔い改めました。ここに私たちは、主にある働き人の模範を見ることができます。私たちの住む世界が、属する民族が反キリスト的だからと、その滅亡を願うようではいけません。かえって、この国と民族を主があわれんでくださり、大いなる悔い改めのみわざを起こしてくださり、大リバイバルを起こしてくださるように祈る必要があります。これまでその祈りをささげてこなかったならば、今日のいまこのときから始めましょう。
詩篇117篇~118篇……主を礼拝すべきは、すべての国々、すべての民族です。私たちの国は例外でもかまわない、ただ自分さえ救われていればいいという考えではいけません。私たちはこの国と民族が主を礼拝するものとなりますように、国中が主をほめたたえるものとなりますように、その日に至るまで祈りつづけ、主を宣べ伝えつづける者となりましょう。
<祈りの課題>この国のリバイバルのために。
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