296 10月23日 Ⅱ列4Ⅰテモ1ダニ8詩116

列王記第二4章……シュネムの女は、子どもは必ずエリシャの呼び起こす奇蹟によって生き返ることを信じて、子どもが平静であることを装ってエリシャのもとに行きました。エリシャはゲハジに厳重に命じたうえで遣わしたり、それでもだめなら自分が出向いてあらゆる祈りを動員したりして、子どもが生き返るように祈りました。祈りというものは、単に頭の中に漠然とした信仰がありさえすれば聞かれるものではありません。熱心にひれ伏すように主に祈るその実践が必要です。

テモテへの手紙第一1章……聖書の内容は膨大かつ複雑です。これを読むと、いろいろと議論したくなる誘惑にかられます。しかし、生活の変化という実を結ばない議論など、何にもなりません。私たちがみことばをお読みするときに目指すべきことは、議論ではなく、みことばへの従順の結果としての生活の変化です。

ダニエル書8章……世の終わりにおいては、サタンに魅入られた荒らす者によって神の真理が投げ捨てられます。しかし、それが成功したと思えるのも束の間、「二千三百の夕と朝」の末に、聖所の正しさが証明される、すなわち、この世界に臨在される神さまの真理が勝利します。私たちは、自分の生きている世界が真理ならざるものに支配されていることにあきらめと絶望を覚えてはいないでしょうか? 終わりの日のイエスさまの勝利を思い、忍耐しましょう。

詩篇116篇……主は私たちの祈りに耳を傾けてくださるお方です。このように祈りを聞いていただける私たちは、主を愛しています。主を愛しているなら、その祈りは自己実現、自己中心のものになるはずがありません。主のご栄光が現れること、御国が実現することが、祈りの課題となっていきます。私たちの祈りがそのようにみこころにかなうものとなるように、主が祈りを整え、変えてくださるように、祈ってまいりましょう。

<祈りの課題>みことばをお読みするとき、議論に夢中になるあまり、みことばを守り行わないで済まそうとする誘惑から守られますように。

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