295 10月22日 Ⅱ列3Ⅱテサ3ダニ7詩114-115
列王記第二3章……エリシャが主の奇蹟を呼び起こしたのは、それを要請した北イスラエルの王のゆえではなく、南ユダのヨシャファテ王のゆえでした。北イスラエルの王ヨラムは、金の子牛礼拝になお執着し、そのような者に対してエリシャは主の奇蹟をもたらす道理はなかったのでした。私たちもまた、罪人という点ではヨラムと五十歩百歩です。このような者でも主の奇蹟を体験できるのは、私たちのために今なおとりなして祈ってくださっている、天におられるイエスさまのゆえです。
テサロニケ人への手紙第二3章……まともな牧会者は、つねに自分に託された聖徒たちのために祈っています。祈って相当に労苦しています。私たち教会は、このように教会のために仕えている牧会者のために祈る必要があります。このように祈りをもって支え合うことで、主が命じておられる「互いに愛し合いなさい」という命令は全うされ、教会は強力に立つことができます。
ダニエル書7章……世の終わりは世界の勢力図が激変し、それに世界中の人々が翻弄されます。しかし、それも束の間のことで、やがてイエスさまが再臨され、すべてをおさばきになります。大言壮語する、悪魔の力を身に着けた権力者はすべてさばかれ、悪の勢力は地獄に落とされ、聖徒たちの入れられた御国が完全に実現します。私たちが日々待ち望むのはその日です。私たちはそれゆえに、どんなに目に魅力的に見えたとしても、悪魔の勢力につくような真似をしてはいけません。
詩篇114篇~115篇……人は世をこぞって偶像を賛美します。しかし、偶像はどんなに人格的に見えても、また、超越的な神的存在に見えても、所詮人の手によってつくられたものにすぎません。私たちクリスチャンは、このようなものに何ら神的恐れを感じる必要はありません。むしろこのような神的存在のもとにある人々が、早く私たちの救い主なるキリストに出会うように、祈る必要があります。
<祈りの課題>世の終わりが近づいていることを意識し、私たちが悪魔的なもの、偶像礼拝的なものを生活の中から追放することができますように。
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