292 10月19日 Ⅰ列22Ⅰテサ5ダニ4詩108-109

列王記第一22章……アハブ王たちがミカヤを嫌っていたのは、王について悪いことばかりを預言するからだということでしたが、それはすなわち、認めたくない真実を言い当てる預言者であった、ということです。その預言の結果、ミカヤは王や偽預言者から迫害を受けましたが、主にお従いするものの道はこのように厳しいものです。しかし私たちは、厳しいからその道を避けるのではなく、かえって、厳しい目にあいながらも主にお従いすることを選ぶなら、それは幸いなことです。

テサロニケ人への手紙第一5章……いつでも目を覚まして主の再臨に備える者の歩みは、互いに励まし合い、互いを高め合う歩みです。私たち教会の生活は、単なる、目に見えるところだけ「敬虔に」振る舞うような「宗教的な」歩みにとどまっていてはいけません。私たちはよもやま話ではなく、主のご栄光が豊かに現れるような、それこそ「交わり」の名にふさわしい交わりをいつでも保ち、そのことによって主の再臨にいつでも目を覚まして備える必要があります。

ダニエル書4章……反キリスト的なネブカドネツァルは、バビロンの繁栄は自分の手によるものとうぬぼれました。しかし、そのうぬぼれを主は砕かれ、狂気のすえにネブカドネツァルがへりくだると、主はネブカドネツァルに理性を戻してくださいました。それは、主がバビロンにお許しになった、王国の栄光のためです。その回復の御業を体験したネブカドネツァルは、主の御名をほめたたえました。すべてこの世界に存在する栄えとは、主の御名をほめたたえるためのものであってしかるべきです。

詩篇108篇~109篇……呪いというものは自分に返ってくるものです。私たちは時に、憎む者から呪いを受けますが、主はその呪いを祝福に変えてくださいます。私たちはどうでしょうか? 私たちに敵対する者を呪うのではなく、祝福することが主のみこころです(ローマ12:14)。主はそのように、いつでも愛と祝福を実践する私たちのことを顧みてくださいます。

<祈りの課題>聖徒の交わりを保ちつつ、つねに世の終わりに備える私たちとなりますように。

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