291 10月18日 Ⅰ列21Ⅰテサ4ダニ3詩107

列王記第一21章……アハブ王のしたことは極めて悪辣でした。そんな彼が自分のしでかしたことを心から悔い改めたなら、神さまはその悔い改めを受け入れてくださいました。悔い改めというものは絶対です。日のように赤い罪を雪のように白くするイエスさまの血潮を前にしては、どんな罪も赦されます。私たちはこのように悔い改める人に対して、過度に石を投げてさばくようなことをしてはいけません。

テサロニケ人への手紙第一4章……このみことばは、主の来臨を語っています。しかし、主の来臨を意識することは、自分の生活に身を入れることをやめて、世間と遊離するような生き方に代わってしまうことではありません。むしろ、来臨を意識するからこそ、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くことに身を入れるべきです。私たちはいよいよ再臨を意識しますが、そのときこそ、いよいよ落ち着いた生活、地に足がついた生活をし、主を信じることができるように証しに励む必要があります。

ダニエル書3章……シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴが王に向かって言ったことば「たとえそうでなくても」、このことばは極めて大事です。私たちは何かの現世的なご利益を期待して信仰生活をするのではありません。たとえいのちが果てても、すべては主のご栄光が現れるため……御業が起こされていないように見えても、私たちは主のご栄光が現れる生き方に献身していますでしょうか。

詩篇107篇……主は貧しい者に目を留めていらっしゃいます。しかし、主を認めない富んでいる者は、主の御手によって低くされます。極めて簡単なことです。富んでいる者は自分の富や権勢を誇って主を認めないこと甚だしいものですが、それは極めて愚かなことです。どんな人も、自分が主の御前で貧しいことを認めてへりくだるなら、それは知恵のあることです。

<祈りの課題>私たちの生活にたとえ主の奇跡が現れなくても、変わらずに主にお従いする私たちとなることができますように。

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