289 10月16日 Ⅰ列19Ⅰテサ2ダニ1詩105

列王記第一19章……私たちは時に、主にあって孤独な戦いを強いられているように思えてならないときがあるかもしれません。しかし、忘れてはならないことがあります。それは、私たちのような主の勇士のために、とりなして祈っているたくさんの信仰の同志たちの存在です。このときエリヤが7000人の祈りの勇士たちに支えられていたように、私たちも多くの人の祈りに支えられて、今があります。

テサロニケ人への手紙第一2章……福音を語ることは人を喜ばせることではありません。神さまを喜ばせることです。問題になるのは、人を喜ばせるような妥協した態度で福音を語ろうとする態度です。もし、福音を語ることとは神さまを喜ばせることと知るなら、時に相手が拒絶したくなるような厳しいことばであろうと語る必要があります。しかし、はっきりと語るべきことを語るならば、そのことばを聞いた人は正しく福音を聞くことになり、救いの門は確実に開かれます。

ダニエル書1章……バビロンにおいてはダニエルたちに並ぶ知恵を持つ者はいませんでした。そのような者を神さまが王の前でお選びになったのは、この反キリスト的な王国もご自身の御手のうちにあることを、満天下にお示しになるためでした。私たちの生きている社会も反キリスト的であるかもしれません。しかし、私たちはそのような中にあっても、主がこの世界を支配しておられるという事実に変わりがないことを心に留め、そのような中でも用いられることを祈ってまいりたいものです。

詩篇105篇……主は全地を私たちに与えてくださいます。いま現実に反キリスト的なものがこの世界を支配しているように見えても、すべてが主の御手のもとにあるという事実に変わりはありません。私たちはそのような中で全地が与えられるわけですが、その理由は、私たちが主のおきてを守り、そのみおしえを保つためです。その従順の歩み、実践の歩みをとおして、私たちは主から託されたこの地において主のご栄光を顕します。

<祈りの課題>反キリスト的なものに支配されている現実の中にあっても、主がそこにおいて私たちをとおしてご栄光を顕してくださいますように。


コメント

このブログの人気の投稿

210 7月29日 士12使16エレ25マコ11

365 12月31日 Ⅱ歴36黙22マラ4ヨハ21

361 12月27日 Ⅱ歴32黙18ゼカ14ヨハ17