288 10月15日 Ⅰ列18Ⅰテサ1エゼ48詩104

列王記第一18章……イスラエルの民はどっちつかずの状態にありました。まことの神に従うか、バアルに従うか。それは彼らの選択にかかっていることでした。しかし神さまは、エリヤをとおしてご自身を彼らにあらわしてくださいました。民はその光景に「主こそ神です。主こそ神です」と告白しましたが、主の働き人はこのように、主が民にその御業をあらわされ、民が主に従っていくことができるように、つねに祈る人であるべきです。

テサロニケ人への手紙第一1章……福音がことばだけではなく、力と聖霊と強い確信を伴って届いた人は、神に選ばれていることが確かであるとパウロは語りますが、ことばにとどまらない聖霊の力と確信のある人は、人生の変化を体験します。逆に言えば、人生の変化もない伝道は、何の救いの証拠もない、したがってことばだけであるということであり、私たちが目指す宣教や伝道というものは、そのような表面的なもので終わってはなりません。

エゼキエル書48章……主による割り当て地の記述。その土地は主の聖なるものなので売り渡してはならない、とあります。私たち主の民は、主の御国が割り当てられている存在です。私たちにとっての生活の領域すべてが主から割り当てられた土地のようです。しかし、そのような貴重な存在を売り渡すようなことをしていないでしょうか。すなわち、私たちの生活の領域を、主のものとしないで済ませ、その生活態度が定着してしまっている領域がないでしょうか。私たちは、神さまによってすべてが与えられていることを心に留め、それにふさわしい生き方をしてまいりたいものです。

詩篇104篇……被造物の世界は、主の知恵に満ちており、主の知恵が現されています。私たちクリスチャンはこの世界に目を留めるとき、創造主なる神さまをほめたたえ、神さまにご栄光をお帰しします。そのような偉大なお方に人々はお従いすべきです。お従いしない者は悪しき者で、それ相応の悪い行いの実を結ぶものです。主はそのような者をおさばきになります。

<祈りの課題>私たちが生活のすべての領域を主におささげするものとなりますように。

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